2018年 4月2日から放送している NHK連続テレビ小説「半分青い」
岐阜県東農地方で生まれ育った天真爛漫なヒロイン 楡野鈴愛(にれのすずめ)が、高度成長期の終りから現代までを右葉曲折しながらも懸命に成長していく物語です。
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そして楡野鈴愛の青春時代の1980年代が僕の子どものころとほぼ同時期!
なので昭和大好きに僕にとって懐かしいものが次々にドラマに出てくるので、それらにいちいち反応してしまっています。
その中で今回お話するのは
ずばり
黒電話と公衆電話
若い人たち 知ってますか??
現在はSNSやメールなどで、簡単に連絡を取り合える時代ですよね。
しかし、当時は電話の他に連絡を取り合う手段がない時代でした。
例えば待ち合わせも今だったら具体的な場所を決めなくても「駅に着いたら連絡するね」で相手に会える時代です。
そもそもそれが待ち合わせと呼べるのかどうか・・・は置いておいて・・
当時は「何日の何時にどこどこのそこにいる」とかなり具体的かつ細かいところまで決めておかないと簡単に会えなかったのです。
駅の出口を間違えただけでも会えないし、相手を探しに行くこともできずひたすら来るのを待ってなくてはいけなかったものでした
なので連絡の行き違いや急用で行けなくなった場合などは連絡を取る手段がなく、おそらくそれで喧嘩別れしたカップルなどもいたでしょう。
ここで僕が言いたいのは、今は吃音者にとって優しい時代であるということです。
なぜなら一言も喋らなくても文字や画面操作で用が足りてしまうので話す必要がないからです。
僕が子どものころは要件があれば電話か会うといった手段しかなかったので、電話をせざるを得ませんでした。
友だちの家に電話をするにしても向こうの親が出ることがほとんどでしたね。
まず自分の名前を名乗る
↓
友だちを呼び出してもらう
という2段階を踏まなければならず僕にとってはかなりハードルが高く毎回すごくドキドキしながらダイヤルを回したものでした。
人の名前というのは固有名詞なので他の言いやすい言葉に言い換えることができなく、吃音者にとってはとても言いにくいことが多いのです。
それでも向こうの親が僕のことを知っているならまだ良かったのですが、初めて話す時などは”少しおかしい子”という偏見を持たれたりして辛かったこともありました。
僕の親は ”吃音があるから電話はかわいそうだから代わりにかけてあげる” ということをしてくれなかったのでどもりながらも電話するしかなかったです。
今となっては電話をするにも抵抗がないので親に感謝していますが、当時は代わりにかけてほしいと何度も思ったものです。
そのころの癖が抜けなくて今も誰かと待ち合わせの確認をするときは電話ですることが多いです。
若い子にはなぜわざわざ電話してくるのか不思議がられますけど・・・・
今は色々なコミュニケーションの手段があるので無理に喋らなくても意志が取れる時代ではあります。
それがいいのか悪いのかはわかりませんが、喋らざるを得なかったあの時代。
僕にとっては辛かったことも多いのですが、懐かしく思うのも事実です。
人はやはり目と目を見て話すのが一番気持ちが通じると思うのは時代遅れでしょうか?